私 と 旅行 と 3Tシャツ
今週のお題「二軍のTシャツ」
お世話になっております。
私、茨城県民の酒葉(bucchya)と申します。
今週のお題「二軍のTシャツ」ということで、私が旅先で買ったTシャツを紹介したいと思います。
じつは、私は旅先では財布がゆるいほうで、自分や知り合いの分のお土産をついつい買ってしまいます。
Tシャツも例外ではなく、心に来たものは買ってしまうタイプです。
とはいえ、普段はあまりTシャツを外行きに着ないので、もれなく彼らは二軍、三軍という扱いになります。
今回は気に入っている旅先で買ったTシャツ3選を紹介したいと思います。
1 兎人(うさんちゅ)Tシャツ
まず1つは、広島県大久野島で買った「兎人(うさんちゅ)Tシャツ」です。
ここ大久野島は「ウサギの島」として有名で、島には900羽を超えるウサギが生息するそうです(参照 Wikipedia『大久野島』)。
実際、どこを向いても視界に うさぎ が入っているような感じで、うさぎに囲まれたい人間としては、一度は行きたいと思う場所です。
私は、大学一年生の時に家族で旅行に行き、その時にこの「兎人(うさんちゅ)Tシャツ」に出会いました。
このTシャツのいいところポイントは、やはり「兎人(うさんちゅ)」という言葉のセンスです。海人(うみんちゅ)という言葉にあやかり付けられたその名前、他の場所では絶対にその意味に出会うことはないであろう「兎人」という状態に私は一目ぼれでした。
こちらは夏のパジャマとして使われております。
2 新冠Tシャツ
2つ目は、北海道新冠(にいかっぷ)町で買った「新冠馬Tシャツ」です。
こちらは、大学2年生の時に、北海道へバイクで一人旅をしたときに買ったものです。
当時、馬術部に入っていた私は、馬の産地をぜひ見てみたいという気持ちがありました。そこで、北海道までバイクで行き、馬が自然の中にいる雄大な光景を見にいったのでした。
そして、帰り道で立ち寄った道の駅で、このTシャツに出会ったのです。
このTシャツのいいところポイントは、Tシャツに描かれている馬のデザインです。
新冠になにか掛かっているわけではないですが、馬という漢字に躍動感あふれる馬の感じがぴったりあっていて、いいと思いました。
あとサイズが大きめで重ね着しやすいので、部活の時によく長袖インナーの上に着て練習したりしてました。
3 鎌倉大仏Tシャツ
最後に紹介するのが神奈川県鎌倉市で買ってもらいました「鎌倉大仏Tシャツ」です。
こちらは社会人1年目の時に、私の彼女さんに買ってもらったTシャツになります。
このTシャツのいいところポイントといえば、やはり彼女さんに買ってもらったことです。仏様好きな私にぴったりということで、買ってもらえました。嬉しかったです。
デザインもどっしりとした安定感のある鎌倉大仏様が映えるなぁって思います。
ただ、このTシャツ、なかなか外には着ていくには勇気とセンスが必要でして、もっぱらパジャマとして使われておりますのが現状でございます。
以上が、私のお気に入りのTシャツ3選になります。
旅先で出会うお土産は思い出の詰まるもの。
特にTシャツとして買ったものは大きく、着るたびにその旅の良かった記憶を思い出します。
これからの人生で、そんなパジャマ候補のTシャツ達と出会う機会がまた来てほしいなと、思ったのでした。
私 と いいこと と 何か
今週のお題「最近あった3つのいいこと」
最近あった3つのいいこと
お世話になっております。
私、茨城県民の酒葉(bucchya)と申します。
今週のお題は「最近あった3つのいいこと」ということだそうです。
ところで、「いいこと」ってなんなのでしょうか。
私は、このお題、きっと簡単にかけるだろうと思ったのですが、全く書けません。
ひとつひとつ、「いいこと」はたくさんあるのですが、「いいこと」で記事を書くというのは還ってふわふわで、考えをまとめることは難しいものだなと思いました。
「書き残しておきたいエピソードがある」こと、
「選べないほどいいことがある」こと、
「そんなどうでもいいことを呑気に考えていられる」こと、
それもいいことなのかもしれないなってことで、「最近あった3つのいいこと」を終わりたいと思います。
私 と 給食 と 「クジラの串カツ」
「好きだった給食メニュー」
お世話になっております。
私、茨城県民の酒葉(bucchya)と申します。
今週のお題「好きだった給食メニュー」ということで、私が好きだったというよりは一番印象深かったメニューである「クジラの串カツ」と、その思い出を書きたいと思います。
私の給食人生の中で一番印象に残っているのは「クジラの串カツ」です。
今になって思えばそんなに美味しい食べ物でもないのですが、小学生の時には最も楽しみにしていたと思います。
はじめての「クジラの串カツ」との出会いは小学1年生の時でした。
しかし、それは、はかない出会いでした。
あれはある冬の日のこと、いつものように給食予定表を眺めていると、その中に見慣れない単語である「クジラ の串カツ」と書いてあったのです。
私は、まだ食べたことのないその「クジラ」のお肉を楽しみにしておりました。
しかし、なんと待ちに待った当日は大雪が降ってしまい、学校はお休みになってしまったのです。
私は雪で学校が休みという嬉しさの反面、楽しみにしていた「クジラ」のお肉が食べられず、なんとも悔しい思いをしました。
ようやく食べれたのは2年生になってからでした。
いったい、「クジラ」とはどんな味なのか。わくわくしながら食べました。
クジラの味わいは、筋っぽくて固い牛肉のような独特な感じでした。
しかし、まだ食べたことのないものを食べたという感動が、その独特な触感をおいしさに変えてくれたような気がします。
その後も年に1回ぐらい「クジラの串カツ」が予定表に出てくるたびに、とても楽しみにその日を待っておりました。
今になって思えば、まだ食べたことのないものを食べてみたいという私の性格はこのころあたりから育まれてきたのかもしれないなと思います。
給食のいいところは、自分や家では食べようとは思わないものを食べさせられる機会が与えられることです。
なかなか家では「クジラ」を食べようなんて思いませんし、今となっては「クジラ」って他の牛肉や豚肉とかと比べると別にそこまで特別に美味しいものでもありません。
しかし、それは食べたことがあるからこそ言えるものであり、食べなければ比較もできません。
給食のメニューは、一般的な料理から、ちょっと贅沢な料理、「みかん と 海草のマヨネーズ和えサラダ」とか「サツマイモとレーズンのマヨネーズ和えサラダ」とか、どこに需要があるのかよくわからないメニューまで様々です。
一部の料理のせいで給食が非難されることもありますが、私はにとっては美味しいものから美味しくないものまで食べれれる幅こそが、給食に求められる役割だと思います。
どうか、子供たちが様々な食べ物に触れる機会となる「給食」という文化が、この先も残ってくれたらいいなと、「クジラの串カツ」のことを考えて思ったのでした。
私 と ドメイン と あだ名
お世話になっております。
私、茨城県民の酒葉(bucchya)と申します。
今週のお題「私のドメイン」ということで、私が設定したいドメイン名と、その由来を書きたいと思います。
私はまだ自分のドメインを持っておりませんが、もし持つなら私のニックネームである「bucchya」にしたいなと思っております。
そもそも、なぜ私は「bucchya」なのかと申しますと、私の過ごした中学・高校生時代のあだ名が「ブッチャー」だったからです。
では、なぜ「ブッチャー」なのか。これは学生時代に何度も聞かれることになりました。
そのきっかけは、私が中学校に入学して初めての技術の授業の時でした。
数人で同じ机を囲む技術の授業では、作業中に同じ机の生徒と話す時間があります。
そうなると「何か話すことないかなぁ」って考えるのです。
当時の私は『聖☆おにいさん』という漫画を読んでおりまして、登場人物であるブッダの話が大好きだったのです。
というわけで、私は同じ机の仲間たちに話しました。
「ブッダって脇の下から生まれたんだってよ」って。
しかし、この言葉は同じ机の仲間たちには理解されませんでした。
代わりに、以下のように聞こえたそうです。
「ブッチャーは脇の下から生まれたんだって」 と。
さらに同じ机の仲間の一人は言いました。
「ブッチャーってプロレスラーのアブドーラブッチャーじゃん」と。
というわけで私のあだ名は「ブッチャー」になったのでした。
まぁ正直なところ、当時小学生から上がりたての私にはプロレスラーの「アブドーラブッチャー」のことはよくわからなかったのですが、私的には自分の全く知らない知識層をぶつけられた気がして、なんか新鮮な気分でした。
というわけで、理由としてはしょうもないものです。
ところで、「bucchya」の綴りはアブドーラブッチャーの綴りである「buccha」とは違います。
これは何かというと、「ブッチャー」というあだ名は気に入っていますが、私はアブドーラブッチャーとは全然似てないので、やっぱり綴りは違う方がいいなと思ったからです。
というわけで、「ブッダ」と「お茶(甘茶)」をかけて「bucchya」としました。
ドメインとはネット社会の住所のようなもの、ある意味で居場所のようなものだと思います。
私のあだ名も、学生時代のある意味で居場所のようなもの。
そういう意味で、ドメインを持つなら「bucchya」を入れたいなと思ったのでした。
私 と 心の本棚 と 最初の一冊
今週のお題「本棚の中身」
お世話になります。
私、茨城県民の酒葉(bucchya)と申します。
今週のお題、「本棚の中身」ということで、自分の心の本棚の最初の一冊について、書きたいと思います。
じつを言うと、私はそんなにたくさん本を買って読むタイプではありません。
本棚を埋める本は、たまに本屋に行ったときにビビッときた本を年に数冊買う程度です。
基本的に、私が趣味で買う本は科学ノンフィクションに関する本が多いのですが、今回は自分の心の本棚に最初に並べられた印象深い本について紹介したいと思います。
『寄生虫なき病』モイセズ・ベラスケス=マノフ著
私の心の中の本棚に最初に並べられた本は、
モイセズ・ベラスケス=マノフ著の『寄生虫なき病』という本です。
当時、高校生だった私は、寄生虫とか変な生き物とか奇怪なものが好きでした。
この本を手にとった理由は、印象深い表紙の絵と、タイトルの寄生虫でした。
安易な理由で買った本でしたが、これがなかなか奥が深い本でした。
日本語タイトルは『寄生虫なき病』ですが、原語版は『AN EPIDEMIC OF ABSENCE(不在の伝染病)』となっており、さまざまな細菌やウイルス、寄生虫を原因とした伝染病と、それらの消失にとって代わり増えていったアレルギーなどの自己免疫疾患に関する病気について、その関係性を説明した本になります。
多角的な視点で伝染病と現代病の関係性について書かれており、偏った視点とならずに物ごとをとらえようとするという考え方を、この本から学ぶことができました。
特に、筆者が患っている重度の自己免疫疾患に対し、寄生虫療法を用いて対処しようとするものの、結局は寄生虫が体になじまなかったという結末が、私の頭に多様性を考えるきっかけのようなものを与えてくれたような気がします。
(もちろんこれ以外にも様々な興味深い事例が書いてあるので、気になった方は読んでください)
私と夏と草刈り
今週のお題「夏物出し」
お世話になります。
私、茨城県民の酒葉(bucchya)と申します。
今週のお題、「夏物出し」ということで、自分にとっての草刈りとの付き合いについて、書きたいと思います。
皆様にとって、夏の恒例行事とは何でしょうか?
私にとっての恒例行事は「草刈り」です。
思い返すと、自分の人生には様々な意味を持つ「草刈り」があったなぁと思います。
子供時代の草刈り
草刈りの思い出として、最初に浮かび上がるのは、小学校の花壇の草刈りです。
でも、正直なところあれは草刈りというよりは「草むしり」だった気がします。
初夏頃に、サルビアの花壇をみんなで一斉にすっきりさせておりました。
思い返せば、花壇の草むしりは目標と環境という面で、子供にとって良い教育だったのかもしれません。
花壇の草むしりは、これから待ち受ける大人たちの草刈りと比べて
「刃物を使わないから安全」
「土がやわらかいから怪我が少ない」
「囲まれているので目標を定めやすい」
「大人数で一斉にやるので早く終わる」などなど、
いいこと尽くめだったように感じます。
黙々と夢中で草をむしっていると、謎の集中力と達成感を味わうことができました。
中学生、高校生時代の草刈り
小学校を卒業すると、夏場は家の庭の草刈り(枝払い)をするようになりました。
するようになったというよりは、労働力として、やらされていたという方が正しいかもしれません。
ご家庭での草刈りとなると、いろいろな道具を使うようになるもので、
剪定バサミ → 草刈鎌 → ノコギリ → ナタ → 電動枝払い機
といったように、どんどん使わされる道具が増えていったなぁと思います。
でも、少しずつ危ない道具を渡されていったのは、親の教育的な優しさなのかもしれないなと、今は思っています。
この時期を通して、「道具を使って効率的にする草刈り(庭掃除)」をする意味を学んだと思います。
大学生時代の草刈り
私は、大学の2年生から通うキャンパスが変わるという理由から一人暮らしを始めました。
大学の寮で暮らしていた私は、寮の近くで活動していた馬術部へ入部しました。
馬術部の馬小屋周りには草がもりもりと生えており、時々草刈りをして馬にあげたりしておりました。
部活ではOBの方から草刈り機の使い方を学び、自分で使いまわすようになりました。
草刈り機を使えるようになると様々なところから要望を受けるもので、知り合いの人の家に草刈りをしに行ったり、実家のお墓の草刈りをしたり、ボランティア活動として山の草刈りをすることも増えました。
草刈り機を使えるようになったことで、「誰かのための草刈り」という意味が加わったなと思います。
就職後の草刈り
就職してからも新たな草刈りとの出会いがありました。
私が就いた職場では、業務として草刈りがありました。
夏場は管理していた林道や、海岸に植栽した松苗周りの下刈りといった住民の暮らしを守る草刈りを行いました。
植栽した場所の下刈りというものは、庭掃除の草刈りとは似て非なるものです。
一番違うところは、「切らないように切る」ことです。
通常の庭掃除の草刈りはお庭をきれいにすればそれでいいので、割と大雑把にやっても一部の庭木にさえ気を配れば普通に終わります。
しかし、下刈りという草刈りについては、1辺2m間隔の格子状に植えられた細い苗木を切らないように常に気を配りつつ(苗木を誤伐しちゃうといろんな意味で大変なことになります)、なおかつ苗木と同じかそれ以上の太さの草を判別しながら切る必要があります。
切ってはいけないという緊張感と業務上は草刈りをしなければならないというストレスはなかなかなものでしたが、面積が大したことがなかったことが救いでした。
実際に山の仕事を本業にしている人はこの草刈りを何ヘクタールとやっていると思いうと頭の下がる思いです。
それとともに、早く自動運転の草刈り機や、下刈りのいらない植栽の仕組みが一般にでまわってほしいと思いました。
これからの夏に向けて
思い返すと、草刈りの種類って色々あるなぁとこの記事を書いていて思いました。
今は前の職場とは異なり、業務として草刈りをすることはありません。
しかし、この夏もプライベートな草刈り予定の場所が入ってきています。
地味で大変な草刈りですが、今後も夏になるたびに忘れないようにやっていきたいと思います。
皆様も草刈りをする際は、水分補給を忘れず、肌の露出は抑え、安全メガネを付け、人との距離を保ちつつ、安全に行ってくださいませ。
ご安全に
私とバイクと買い物
今週のお題「人生で一番高い買い物」
お世話になります。
私、茨城県民の酒葉(bucchya)と申します。
今週のお題、「人生で一番高い買い物」ということで自分の乗っているバイクとその経緯について書きたいとお思います。
私が現在、人生で一番高い買い物だと思っているものは、昨年買ったホンダのADV150というバイクです。お値段は約70万円ぐらいでした。
ここまではよくありそうな買い物です。
しかし、私にとって、バイクを買うということは、なにか新しい世界が広がることの象徴のような存在となっています。
人生で一番高い買い物1(折りたたみ自転車)
私にとって、はじめて人生で一番高いものを買ったなぁと思ったものは、折り畳み自転車でした。お値段は4万円ぐらいです。
あれは高校生のときでした。
私が通っていた高校は中高一貫校でした。
学校の距離は家から遠く、バスで1時間ぐらいかかる場所にありました。
中学生のころは、バスが通る平日と土曜日のみ学校に行き、休日は家で過ごす日々を送っておりました。
高校生になったある日、友人の誘いで天文部に入りました。
天文部は休日(または土曜日)の夕方に学校へ集合し、夜に星を観察し、朝に解散するといった活動をしておりました。
「バスを使わずに学校に行かなくては」と思った私は、なにかいい方法はないかと考えていました。
電車で行く方法もあったのですが、
実家から最寄りの駅までは自転車で20分ぐらいかかり、電車の乗車時間は1時間近くあり(しかも費用が高い)、電車を降りてから学校まで15分も歩くので、正直なところあまり使いたくありませんでした。
何回かは親の送り迎えを頼んだこともありましたが、往復2時間も親の時間を使ってしまうのは、心にくるものがありました。
「公共交通機関は最小限にしたい」
「親の送り迎えに頼りたくない」
「あまりお金もかけたくない」
そんなことを考えていたある時、1つの答えを思いつきました。
「そうだ、折り畳み自転車で帰ろう」と。
自転車で実家から駅まで行き、自転車を折りたたんで電車に乗り、電車から降りたらまた自転車に乗る。
「そして帰りは自転車に乗って家まで帰ろう」
そうすれば行きの時間は最小限で済み、帰りは気ままに自力で帰れる。
というわけで、折り畳み自転車を買いました。
この折り畳み自転車は天文部に行く以外でも、駅を拠点に色々なところに行けるようになったため、高校生の自分の世界を広げる足として、とても役立ちました。
そして、月日は流れ、高校を卒業した私は、地元の大学に入学しました。
人生で一番高い買い物2(50ccバイク時代)
大学生になった私は、新たな移動手段を探していました。
地元の大学は高校の時よりは近くにあったものの、実家が駅から遠いため、やはり不便でした。また、自動車の免許も取得したかったため、教習所に通うためには時間に融通が効く交通手段を欲していました。
「折り畳み自転車を毎日出したり畳んだりするのは面倒だし、電車とバスを乗り継ぐと時間の制約受けるし、お金もかかるなぁ」
というわけで買ったものがホンダのジョルノという50ccの中古のバイク(スクーター)でした。価格は15万円ぐらいです。
原付バイクの免許は、教習が半日と筆記試験が半日で取得できるため、大学の授業に影響を受けずに取得することができました。
この50ccのバイクのおかげで、私は肉体的には疲れることなく遠くまで行けるようになり、自分の世界がまた広がってしまったなと感じておりました。
このバイクとは半年ぐらいの付き合いでしたが、今の自分の人生にとって、無くてはならない存在だったなと思います。
人生で一番高い買い物3(125ccバイク時代)
教習所に通いはじめてから半年が経ち、無事に普通自動車免許を取得した私は、普通自動二輪の免許もついでに取得しました。
その理由として、
「50ccバイクよりも安全で安心なものに乗りたかった」こと、
「車の購入費と維持費は賄えなかった」ことがありました。
じつは、けっこう50ccバイクは乗っていて精神的に疲れます。
その大きな理由が制限速度が時速30キロまでしか出せないことです。
時速30キロで道路を走行していると、周りの車がビュンビュン通り過ぎ、自分にとってはけっこう怖いです。また、車からしてもバイクが30キロで路肩を走っているのはストレスかなと思います。
他にも時速30キロ以上で走行していると警察に捕まってしまうため(友人が捕まっていて他人事じゃないなと思いました)、乗るなら50cc以上のバイクに乗りたいと思いました。
というわけで買ったものがPCX125というホンダのバイク(スクーター)でした。価格は新品で35万円ぐらいです。
こちらのバイクは原付二種という類のバイクになりまして、車検が無く、保険は原付ファミリー特約で親の保険に便乗できて、なおかつ一般道を他の車と同じように走行できるという、いいとこ取りの乗り物でした。
このバイクは大学生の間、大変お世話になりまして、バイトの交通手段から、一緒に下道で北海道に行くといったことまで、色々な体験をさせてくれました。
自分の世界を広げ、より行動的にさせてくれた、相棒のような存在でした。
人生で一番高い買い物4(150ccバイク時代)
月日は流れ、私は就職しました。
就職してからの私は、親のお下がりの車に乗って通勤をしていました。
就職してからは職場の近くに一人暮らしをしていたため、バイクは実家に置いて乗らない日々が続いておりました。
就職して1年半が経ち、私の心中にある欲求が芽生えました。
「バイクに乗って遠くまで行きたい」と。
バイクに乗らない日々が続いている間、
「私はバイクに乗らなくていいのか?」となぜか自問していました。
「でも、就職してから忙しい中、遠くまで行くためには下道だけでは厳しいものがあるなぁ」と考えた結果、150ccの高速道路に乗れるバイクに乗ろうと思いました。
そして思いったった私は、新しいバイクを買いました。
それが現在、人生で一番高い買い物となっているADV150というホンダの150ccのバイク(スクーター)です。冒頭の説明があった70万円のバイクです。
私はこのバイクによって、高速道路で移動できるようになり、一泊二日で行ける範囲が格段に広がることになりました。
今後はこのバイクとともに、色々な思い出を作っていきたいと思います。
人生で一番高い買い物と今後
私の人生で一番高い買い物は、自分の行動範囲を広げてくれる存在として、人生に大きな影響を与えるものでした。
きっと今後の人生で、私はさらに高いものを買うことになるのでしょう。
その時、その買い物は空を飛ぶバイクなのか、それとも全くバイクとは関係ないものなのか、それはまだわかりません。
でも、人生で一番高い買い物は、自分の人生の世界を更に広げてくれるものであってほしいなと、この記事を書いていて、思ったのでした。