私と豆と品種
いつもお世話になっております。
茨城県民の酒葉(bucchya)と申します。
今週のテーマ「マメ」ということで、以前に枝豆について思ったことを書きたいと思います。
みなさんはどんなマメがお好きでしょうか。
私は一般的ではありますが、塩ゆでした枝豆が好きです。
枝豆にも色々と種類がありますが、特に京都の丹波の黒枝豆(丹波篠山黒大豆)が好きです。
何がいいかというと、まず食べ応えがありあす。比較的大きめの枝豆で、塩ゆでするとふっくら、そして豆本来のあまみが引き立つ、そんな感じです。ただし豆の色が黒いので見た目はやや悪いのですが、かなり美味しいのでお勧めです。(私は知り合いの方からいただきました。)
そんな枝豆ですが、私は植物を育てるのが好きなので、自分で育てることもあります。
ある日のこと、育てるための枝豆の種を買おうと思い、ホームセンターに行きました。
種子コーナーを見ていると、そこには興味を引く野菜がたくさんあるのですが、特に面白いのが品種の名前なのです。
例えば「苺」とかは「とちおとめ」とか「いばらキッス」、「メロン」だと「クインシーメロン」や「イバラキング」といった、その品種を作った土地の名称をもじった名前があります。また、「あまおう」とか「アンデスメロン」といったその品種の特徴を表した名前の品種もあります。
枝豆に関してもそうです。育てる人が多いためホームセンターではけっこう色々な品種が置いてあります。
そこで私の目に入ったのが「湯あがり娘」という品種でした。
なるほど、茹で枝豆にするのに最適な品種なのかもなと思ういい名前だと思いました。一方でこういう洒落臭くてなんか小恥ずかしい名前っていったい誰がどういう思いで考えているのだろうか。そう思いつつも買ってしまったのでした。
実際に育ててみると、娘と名前が付く割にはけっこう旺盛に育ち、味は名前に恥じない美味しさでした。
実はどんな野菜やキノコでも品種があるものです。
みなさんもその品種を気にすると、食べたり育てたりする時にその植物の美味しさや強みがわかり、面白さがより広がるかもしれません。
おわり
「大谷資料館」と「若竹の杜」に行ってきました その1
いつもお世話になっております。
茨城県民の酒葉(bucchya)です。
今回は令和5年1月22日に行ってきました、栃木県にあります大谷石資料館と若竹の杜を紹介したいと思います。
みなさんは大谷資料館は行ったことありますでしょうか。
行ったことはなくても、一度は見たことはある、そんな場所だと思います。
ここは特撮とかドラマとか車の広告などあらゆるメディアで撮影の舞台となる場所です。
私はよく特撮を見るのですが、何かと悪役のアジトになってる場所でして、一度は見てみたいなーと思ってました。
というわけで今回、時間がありましたので行ってまいりました。
ここで注意が必要なのが、行くときの道です。
私はあまり調べずにgoogle先生の言う通りに行ってしまったのですが、東側から入る道はとても狭いです。対向車が一台来るともうハラハラだったので、行くときは川沿いの南側か西側の道から入っていくことをお勧めします。
大谷資料館は中に入らずとも、その周りから石切り場の風景が見えてきます。
ちょっとした地形マニアならもううずうずしてきちゃう感じです。
大谷資料館の駐車場は無料です。
冬だからなのかもしれませんが、そんなに人が多いイメージはなく、駐車場もけっこう空いてました。
駐車場から200mぐらい歩くとトイレとカフェ的なお店と少し奥に大谷資料館の受付があります。
大谷資料館の中にはトイレがないので、そこのトイレで用を足してから観光することをお勧めします。
トイレはけっこう綺麗でウォシュレットがついてました、とてもありがたいです。
大谷資料館の入館料は大人800円で子供400円です。
資料館に入ったら、洞窟の中に入る前にまずは展示物のコーナーを見ましょう。
先に大谷石や洞窟の歴史を知ることで、洞窟内の各所の意味や役割を120%楽しむことができる気がします。
私が特に印象に残ったのが、人力で切った石を運び出していた時の様子です。
どうやら石の重さは80kg近くあるらしく、それを背負って歩いて持って帰ってきたというのだから何とも危険な仕事だなと思いました。
いよいよ洞窟内に入ります。
洞窟の入り口は狭いので、通路は立ち止まっての撮影は控えましょう。
奥へ進むと、そこにはとても広い空間がありました。
これはけっこう感動ものでした。実際に見てみることをお勧めします。
順路どおり進むと、ライトアップや芸術作品の展示等、楽しませてくれるものが随所に見られます。
詳しいことは行ってみてのお楽しみということで省きますが、写真撮影のサービスやフォトスポットがあって充実していました。
一通り見終わった後は、入り口にあったカフェ的な店に入ってみました。
そのカフェ的な店では、おしゃれなオムライスや美味しそうなジェラートが売っておりました。
また、大谷石や益子焼のお土産も売っており、見てるだけでも楽しめました。
残念ながら行ったときはあまりお腹がすいてなかったので私は何も食べずに帰ってきてしまいましたが、食べていた皆さんは美味しそうにしておりました。
今回、冬に行ってみてわかったのですが、洞窟の中は寒いです。
行ったときの外気温は3度、洞窟内の気温は2度でした。
正直、洞窟の中は温かいかもなんて行く前は思っていたのですが、想像以上に外と同じ気温でした。風が吹かないだけ外よりはましでしたが。夏に行った人曰く、夏は外に比べてとても涼しいらしいです。
でも逆に考えれば冬は外と中で寒暖差が無いということ、最初から厚着をしていけば服装そのままでいいので風邪をひく心配はなく、人も少ないので行くのにオススメシーズンは冬なのかもしれませんね。
この寒さで思ったのが、俳優さんたちの演技力というか忍耐力です。
この気温で薄着で撮影とかしてるのかもと思うと、尊敬してしまいます。
というわけで「大谷資料館」のレポートでした。
続きは近くにあったのでついでに行った「若竹の杜」になります。
私と大学受験とゴミ拾い
いつもお世話になっております。
茨城県民の酒葉(bucchya)です。
今週のお題「合格祈願」ということで、私の大学受験の思い出を書きたいと思います。
みなさんは何か人生かかってたかもと思う受験の経験はございますでしょうか。
私の場合、一番印象深かったのは大学受験でした。
私は年の離れた姉が2人おります。その2人はどちらも国立大学に入っていたため、私もそのうちは大学受験をするのだろうと思っていました。
母さんや姉さんからは「家には大したお金がないんだから、行くならお金がそんなにかからない国立大学だよ」とよく言われたものでした。
なんやかんやあって私も高校3年生になり、大学受験の時期になりました。
当時、私は地元の農業等の地域の産業の役に立ちたいと思っていたため、地元の国立大学の農学部を目指して勉強を開始しました。
まずは受験科目を調べてみると、合格の配点としてはセンター試験(今の共通テスト)による加点が半分近くを占めており、あとは生物と化学と英語の2次試験で半分近くを占めるといった感じでした。
当時の私の成績は、社会(地理)と理科(生物と化学)は良くできる、数学はまあまあできる、国語はまあまあできない、英語は全然できないといった感じでした。
英語は全然できないので、こりゃもうセンター試験を頑張るしかないなということで、センター試験まではセンター試験の勉強一筋で頑張ってまいりました。
しかしセンター試験当日、事件は起きました。
センター試験は2日間に分けて行われており、1日目は社会と理科、2日目は数学と国語と英語といった感じでした。
1日目は得意な社会と理科、これは落とせないなと張り切っておりました。
そして最初のテスト、地理の時です。
私は問題を7割ほど解き終わって、いったんマークシートに解答を記入しようと思い、順にマークシートを埋めていきます。
すると、途中から問題数と解答欄の数が合いません。
そこで私は気がつきました。
どうやら私は本来解くはずだった地理Bではなく、解いても点数にならない地理Aを解いていたのです。
私の頭は真っ白になりました。
気分的には3分間ぐらい放心しておりましたが詳しくはわかりません。とりあえず、気を取りなおして地理Bを最初から解きなおすことにしました。
制限時間は1時間のうちすでに30分は経過しておりましたが、なんとか埋めようと努力しました。
結果、いつもなら8割は正解しているはずの地理が6割ぐらいの点数になっておりました。
また、次の化学でも引きずっていたのか、回答を間違った場所に記入していて、結局理科も正解数は6割ぐらいの点数になっていました。
次の日の数学、国語、英語は気分を一新していつもよりも少し良く解けたものの、全体としてはセンター試験の加点による地元の大学への合格はギリギリなラインで、英語と理科の二次試験を7~8割ぐらい正解しないと合格しなそうな感じでした。
それからは苦手な英語を含む2次試験に向けて、大学の自習室を積極的に使うなどして勉強に励みました。
2次試験当日はこれといった事件はなかったものの、7~8割は正解しないといけないという目標はギリギリであり、合格するかどうかはわからず、ハラハラするばかりでした。
もう後は神頼みしかありません。
合格発表日の当日は何かにすがる思いで朝から合格発表の時間まで近所の公園でゴミ拾いをして過ごしていました。
結果、なんとか合格しており、今に至ります。
もうあんなストレスな経験は二度と御免ですが、貴重な経験になったのは間違いありません。
もしみなさんも、やるだけやっても心配なことがあったら、近所でゴミ拾いをすることをお勧めします。
別にゴミ拾いをしたからといって、試験の合否が変わるわけではありませんが、ハラハラしているよりも人にいいことをして、自分の中で救われていた方が有意義な時間を過ごせると思います。
この記事を書いていて、そういえば最近はあんまりゴミ拾いしてないかもと思ったので、いつも自分の目に入る範囲ぐらいはゴミを拾っておこうかなと思いました。
私と春とおかわかめ
今週のお題「あったかくなったら」
いつもお世話になっております。
茨城県民の酒葉(bucchya)です。
今週のお題「あたたかくなったら」ということで、今年の春からやりたい家庭菜園の植物について、書きたいと思います。
タイトルにもありますが、私が今年育てたい植物は「おかわかめ」です。
皆様は「おかわかめ」をご存じでしょうか。
私は近所のスーパーでたまたま見かけまして、何なのかよくわからなかったのですが、野菜にしてはそんなに高くないかもと思ってとりあえず買てみました。
調べてみるとけっこう栄養価が高いらしく、別名「雲南百薬(うんなんびゃくやく」といって中国では長寿の草とかで体にいいそうです。
試しにささっと茹でてしゃぶしゃぶにして食べたのですが、ほんのりとぬめりがあって若干わかめっぽさを感じる葉っぱって感じでした。わかめ好きならまあまあイケるなって感じです。
いいなこれってなったので自分で栽培してみたいなと思いました。
調べてみると栽培もそんなに難しいわけではなく、むかごとか挿し枝からたくさん増えるみたいです。
根っこは芋のようになっていて、多少ずぼらな管理でもなんとかなりそうです。しかも越冬するようで、来年もまた楽しめるとのこと。
というわけで、この記事を書くついでに買っちゃおうと思いまして、メルカリで「おかわかめ」のむかごを買ってみました。
メルカリを使うの初めてでしたが、まずは無事に届いてくれたらなと思います。
届いたら「おかわかめ」たちの成長過程を当ブログで残していけたらなと思います。
今後も何卒よろしくお願いいたします。
私と 仕事と 2023年
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」
いつも大変お世話になっております。
茨城県民の酒葉(bucchya)です。
今週のお題、「私の2022年・2023年にやりたいこと」ということで、2022年の思い出と、2023年に取り組みたいことを書いておきたいと思います。
正直、2022年はとにもかくにも普段の仕事が忙しく、なんだかいろいろ手につかない日々でした。今年の仕事内容は今までに任せられたことのない予算調整やそんなに知識もない林道という分野の担当者として、未熟なこともあり頭を下げ続けた毎日だったなと思います。
まだ、2022年の終わらない業務でスッキリできてない新年ですが、なんとか2月ぐらいまでにけりをつけて、3月からはもう少し余裕をもった仕事をしたいです。
仕事をスッキリさせるプランとしては、もはや闇残しか思い浮かびませんが、テレワークを活用しつつ普段のオフィスから少し離れた場所から時間外に仕事を片付けたい所存です。
2023年にやっておきたいことのもう1つは運動です。
2022年の11月ごろに任天堂switchのフィットボクシング2を買ったのですが、1か月ぐらいやったものの、12月からなんか気分悪かったのと激務で全くやれておらず、この日まで先延ばしにしてしまいました。1月10日あたりから心機一転して続きからやりたいところです。
さらに何とかしたいのは教養です。
年末に家族と話していて思ったのですが、私はあんまり文学作品を知らないなと思ったので、なるべく一般的なやつとか教養として備えておきたいと思いました。ただ、あんまり私の読書力は高くないので、マンガでわかるシリーズやマンガで読破シリーズ等を活用して門戸を広げておきたいと思いました。暇つぶしを基本はマンガに置き換えつつ読んだ暁にはなるべく感想をブログに書きたい所存です。
教養に関係しますが、今年は測量士を取りたいです。一昨年、去年と受験したのですが、勉強不足で落ちました。仕事を3月にはある程度片付けて、5月21日の試験に間に合うように勉強したいところです。
最後にできればですが、京都の日本海側に住む姉の所までバイクで行ってみたいです。まだ今のバイクとは長距離を走ったことがないので、高速道路を使いつつ2泊3日ぐらいで行ってみたいと思います。
2023年にやりたいこと、やっておきたいことに思いをはせる日々ですが、まずは目先の積もった普段の仕事を片付けなければならないのが辛いところです。せっかくブログに書いたので、何とかさっさと終わらせて、やりたいことを実現できるようにしたいです。
今年も何卒よろしくお願い申し上げます。
林道とは
林道とは
いつも世話になっております。
茨城県民の酒葉(bucchya)です。
仕事に関することについて、お勉強する機会があったので、皆さんに共有したいと思います。
今回は、林道ってなんのかを、簡単に皆さんに紹介いたします。
皆さんは林道って何だと思いますか?
山の中を通っている道のことでしょうか?
でも国道や県道なども山の中を通っていますよね。
わざわざ「林道」と呼ぶ道があるのはなぜでしょうか?
法律上で林道という言葉が出てくるものとして、『森林・林業基本法(昭和三十九年法律第百六十一号)』の第十二条に、「国は、森林の適正な整備を推進するため、地域の特性に応じた造林、保育及び伐採の計画的な推進、これらの森林の施業を効率的に行うための林道の整備、優良種苗の確保その他必要な施策を講ずるものとする。」とあります。
ここから、林道は「森林の施業(造林、保育及び伐採)を効率的に行うために整備するもの」だということがわかります。
森林施業を効率的に行うための林道ですが、つまりはどういうことでしょうか。
林業とは、木材を市場に出すことで収入を得る仕事です。いかに市場まで木材を運びだすかが、収益を考える上で欠かせません。
かつては、河川を使った水運が主流でした。しかし、水力発電、利水ダムなどが支障になることから、現在は陸運に移行することになり、道の重要性が高まりました。
あたりまえの話ですが、林道として森林の中に道ができれば、森林内に車両で入り込めるようになり、アクセス時間が短くなります。森林へのアクセス時間が短くなれば、その分だけ1日にできる作業の量が増えます。
また、道ができなければ、間伐や主伐時の搬出作業の効率を飛躍的に向上させる高性能な林業機械を森林内に持ち込むことができません。
つまり、林道とは、森林に人(林業従事者)とモノ(木材や資材を)を運び入れ、運び出すための道です。
一般道である国道や県道との違いはここにあり、地域と地域を結ぶのではなく、森林に入りやすくするためのものが林道です。道を造る財源も、一般道は国土交通省が、林道は林野庁が所管しています。
私とピンチと前歯の脱臼
お世話になっております。
茨城県民の酒葉(bucchya)です。
今週のお題、「人生最大のピンチ」ということで、私が個人的に生死をさまよった中学生の時のあるエピソードを紹介したいと思います。
じつは、私の上の前歯4本には血が通っておりません。神経も通っておりません。
これは、とある事故が原因でした。
当時、中学生の私は、少林寺拳法部に所属しておりました。
今思い返せば、なかなか主体性があるなと思うのですが、練習メニューは自分達で決めておりました。
そんな自分達で入れていた練習メニューの中に、トレーニングと称してケイドロ的な鬼ごっこが含まれておりました。
トレーニングなので本気の鬼ごっこ、それも中学生12人ぐらいの本気の鬼ごっこでした。
そんな鬼ごっこをしていたある日、事件は起きました。
あの時、たぶん私は追いかける側だったと思います。
追いかける相手を見定めながら走っているとき、ふと横に気配を感じました。
気を巡らしていた私は運の悪いことに、その方向を向いてしまいました。
すると、その方向にはすごい勢いで突っ込んでくる友人の頭がありました。
その時、私の意識は飛びました。
あたりは真っ暗になりました。
なにか選択肢が出てきました
「まだ、人生続けますか」と。
私は
「もう少し…続けてみるよ」と
その中で言ったと思います。
目が開きました。
どうやら、あたりは血まみれでした。
ぶつかったと思った場所から2mほど離れていたように思えます。
血は、口から出ていました。
それも、こんこんと湧き出てきます。
なんだか上の歯がゆるゆるします。
すごく取れそうです。
どうやら歯の付け根から、血が湧いているようでした。
私は、その今にも落ちそうな前歯を、手で無理やり押し込み、そのまま押し込み続けました。
血が全然止まらないので、とりあえず保健室に行くことにしました。
私と衝突した友人が肩を貸してくれました。
とりあえず大丈夫だからってことで、2人で保健室に行くことにしました。
どうやら不幸中の幸いで友人の頭は大変固かったようでした。
私は血まみれになったにも関わらず、彼は頭に歯の跡が少し付いただけだったようです。
血をポタポタ、足はヘロヘロの状態でなんとか保健室にたどり着きました。
保健室にたどり着いて少し落ち着くと、だんだんと痛みと不快感を感じてきました。
なんとか家族の迎えを呼んでもらい、なんやかんやあって衝突から2時間後ぐらいに歯医者で治療を受けることができました。
結局のところ、私の上の前歯4本は脱臼していたようでした。
衝突時に歯の中の血管と神経はブチ切れ、もう復活することはありません。
治療法としては、ひどい虫歯と同じように、歯の中の残った神経と血管を取り除き、何度も綺麗にしたあとに、被せものをする感じです。
なんとも不運な事故でしたが、このピンチの中にもいくつかの幸運がありました。
それは私が当時、歯の矯正をしていたことです。
顎が小さく、歯並びが悪かった私は、中学1年生から歯の矯正をしていました。
少しずつ顎を大きくしていき、中学3年生の時にワイヤーで歯並びを調整する段階になりました。
そして、あの事故が起きたのは、歯の矯正が終わる2週間前でした。
もし、歯の矯正が終わったあとにあの事故が起きていたら、私の前歯はワイヤーにくっついておらず、吹き飛んでいたことでしょう。
また、ぐらついた歯を手でずっと押し込み続けることができたのも、ワイヤーで歯が連結していて抑えやすかったからでしょう。
そもそも歯の矯正を親がはじめてくれなければ、そういった救いもなかったのでしょう。
健康な歯で、綺麗な歯並びとなることは叶いませんでしたが、歯の矯正をしたことは意味のあったことなのだと思っています。
それに、前歯に神経が通ってないので、知覚過敏にならないという強みもできました。
無駄に治療費と時間がかかってしまったことは、はなはだ残念でなりませんが、私は特にそれ以上のことは思っておりません。
しかしながら、私があの事故の時に見た、暗闇の中の選択肢はなんだったのでしょうか。
おそらくあの暗闇は、歯の神経が4本分同時に切れた痛みで気絶した結果なのでしょう。
でも、あの選択肢は…
思うにあれは、私にこれから起きる全てのことに覚悟を決めさせる「決意」の現れだったのでしょう。
あの程度のことでは人は死にません。
しかし、頭は、これから色々な辛いことが待ち受けていると知っていたのでしょう。
だから、あえて、改めて自分で決めさせたのかもしれません。
私はあの事故以来、なにか嫌な事態があったとしても、「これは自分で選択した人生なのだ」と思って取り組むことにしています。
大きなピンチに出会うことで、人はそれに見合う覚悟と決意を得られるのかもしれません。
それと、皆さんが鬼ごっこをするときは、広い場所でしっかり前を向きながら走ってくださいませ。